Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

勉強会は参加せずに主催せよ

先日、国際問題(米中対立、日本外交、安全保障)に関する勉強会を主催した。

 

研究者を招いて講演会を行なったのだ。

 

 

講師は東京から、開催地は九州の田舎県。

 

交通費や謝金を捻出するためには、ワンコイン(500円)の参加費だと200人を集めなければならない。

 

しかし、会社や自治体からの後援もないアフターファイブの趣味的な活動で200人を集めるのは現実的ではないし、そもそもの目的とも少し違う。

 

だいたい30人くらいでインタラクティブにやりたい。

 

交通費の捻出は無理だ。なんらかの団体に協賛でお金をもらうか、いや、実績もない活動ではそれも難しいし、自分の趣味にお金をもらって口出しまでされては困る。

 

ならばついでに九州に来る機会があれば、その足で田舎県まで足を運んでもらって、交通費を最低限に抑えるのだ。そしてワンコインでペイできる規模でやる。

 

そして、そのついでの機会が本当に訪れた。講師にはあらかじめ打診して、そのような機会をお互いに虎視眈眈と狙っていたので、たまたま福岡に来るついでに足を伸ばしてもらうことができた。

 

講師とは、ちょっと縁があって知り合った方で、好意的に引き受けてくれた。研究者として、情報発信をしていくことも一つの使命という認識でもあるようだ。

 

謝金は払えない(そのことは了承済みだ)が、電車の移動費と一泊の宿泊費、それと打ち上げの飯代だけだ。

 

よし、やろう。

 

それでSNSや会社の掲示板、自治体、大学、高校、民間団体などへの周知を行なった。仲間内だけではない一般の参加を期待して、幅広く呼びかけた。つもりだった。しかし、今時、facebookでも隅々までは届けられない、みてない人も多いのだ。

 

そしてこういう分野は、関心のある方はあるが、ない人は本当にないみたい。

 

結果、集まったのは30人程度。関心あるけど知らなかったどいう人もいたかもしれないが、まあちょうどいい。学校のクラスをイメージすれば、そのちょうどよさはわかるだろう。

 

まずは主催者として、冒頭のあいさつを行なった。

 

勉強会のチラシ作りから会場の確保から、周知まで、ほぼ1人で行ってきたが、それよりなにより、冒頭の挨拶に命をかけてやってきた。

 

なぜなら、運営は誰でもできる仕事。顔を出さなくてもできる。しかし、発言の機会は自分の主張を乗せられる。

 

主催して講師にバトンタッチするだけではなく、せっかくテーマ設定をして主催するのであれば、ホストとしての考えを伝え、課題提起をするべきだ。

 

開催趣旨だけでなく、一つのセッションとして参加者に情報を提供し、考えてもらう機会とする。そのために、国際政治関連の本を4冊くらい読み漁って、何をいうかを勉強して練ってきた。

 

講師の話を期待して集まった参加者を退屈させないため、長くなりすぎず、主催者としての認識を示すことが大切だ、と考えたわけだ。

 

結果、冒頭の挨拶から大変素晴らしい発言だった、ファシリテーターとしての役割を果たした、などとのコメントをいただき、やって本当に良かったと思えた。

 

何が言いたいのかというと、

 

自ら行動する事で、自分でやらざるを得ない環境に自分を追い込み、それによって新たな経験をする。その結果として、人になんらかの影響を与えることができるのであれば、その行動は意味を成す、ということ。

 

つまり、

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

 

というリクルートの社訓を実践するということだ。 

 

勉強会に参加して知識を得るだけか、主催して課題提起までやるか、この違いは結構大きい気がする。

 

By Goro