Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

統一地方選挙での連呼行為

小さな頃から、選挙になると選挙カーが田舎の隅々まで走ってきて、候補者の名前を連呼して去っていく。本人ではなく、アルバイトや事務所の協力者たちが乗る車の中からだ。

 

 

うるさいと。

 

 

これ以外に浮かぶ言葉がない。

 

 

こんな滑稽な選挙戦を強いられる候補者、というか、これをやらずには勝てないからやるのだろうか?

 

 

それとも、頑張っている姿((這いつくばって汗水垂らして、ダサい姿)をあえて見せることで、庶民に寄り添う政治、というイメージでも刷り込みたいのだろうか?あるいは、単純に名前を覚えてもらうためのサブリミナル効果を狙ってのことだろうか?

 

 

潜在意識のレベルでどのように働くかは専門家に委ねるとして、理屈と感情論だけで述べるとすれば、うるさいと思った時に聞いた候補者に対しては、イラつく。

 

 

 福祉、子育て、雇用の確保などなど、なんとなく耳あたりの良いことを並べとけ。原発反対、辺野古埋め立て反対、オスプレイ反対、地域に関わる国策問題には反対しとけ。

 

そんな哲学のない選挙戦になっていないか。

 

 

名前の連呼行為の効果は知らんけど、なんでみんなが揃いも揃って同じ戦い方をするのか、ちょっと調べてみたら、原因は公職選挙法にあった。

 

 

(連呼行為の禁止)
第140条の2 何人も、選挙運動のため、連呼行為をすることができない。ただし、演説会場及び街頭演説(演説を含む。)の場所においてする場合並びに午前八時から午後八時までの間に限り、次条の規定により選挙運動のために使用される自動車又は船舶の上においてする場合は、この限りでない

 

 

 

これだ。赤字部分だけ読めばいい。

法律がそもそも、街宣カーで連呼行為をすることを想定した作りになっている

 

 

こんなにテクノロジーの発達した国で、こんなに時代遅れのアナログな選挙を展開しないといけないのは一体どういうわけだ。

 

 

若者が選挙や政治家に抱くイメージが悪くなり、結果として投票率が低くなる遠因の一つと言っても過言ではないのではないか?

 

 

おっさん政治家におっさん票ばっかりが集まる日本の政治では、若者の票や意見に関心があるわけもなければ、若者が投票しないのはかえって好都合なのではないか?

 

 

アメリカ人に、日本の選挙の連呼行為についてどう思うか、と聞いたことがあるが、揃って嘲笑を浮かべながらこう述べる。

 

 

馬鹿げている

 

 

ちなみに、マレーシアでは、それはもう露骨で、政党が金をばらまいて票を買うとか。

 

 

なんだか清々しささえ感じるね。

 

これがいいか悪いかといえば、多分悪いのだろうけども。だからと言って、なんでも清廉潔白が常に正義で絶対的な善であるとまで言ってしまうと、世の中の全てのことがその時々の価値観によって画一化されてしまう。

 

 

日本という国はそういう国なのではないだろうか?

無意識的に常に全体主義的。

お上なんて言っている時点で、もう思考停止である。

 

だからこそ、自然災害が起こると行政に不満の矛先が向くのだ。

 

 

日本独特の文化や習慣でも、小さな頃から周りに日本人しかいない環境で周囲に合わせることが良いことと教えられ、その上、海外にもあまり出たことがなければ、この違和感には気づくことさえないのかもしれない。

 

 

よーく目を凝らして国際的な視点から俯瞰してみれば、選挙に限らず、日本のいろんなところに奇妙な光景がまだまだ見つかるかもしれない。

 

 

By Goro