Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

桜の季節と会計年度

サクラは日本人に馴染みが深い。日本で観賞用として植えられているサクラの多くはソメイヨシノだ。海外では、cherry blossom と呼ばずにsakuraと呼ばれることもあるほど日本文化と桜はセットで語られる。

 

その桜は、だいたい3月末から4月の頭にかけて、パッと咲いてパッと散る。その潔さから、

命の儚さ、諸行無常といった日本特有の人生観が生まれた。

 

その歴史は長く、古くから歌に詠まれ、花見の行事などが行われてきた。その心は基本的に今でも変わっていないし、日本の桜を愛でる文化は世界に広がっており、インバウンドとしても一大コンテンツとなっている。

 

そんな桜の咲く季節、その前と後とで、人々の心の持ち方はどこか違うものになるのではないか。全く違うもの、と言っても過言ではない。

 

例えば、小学校を卒業して中学に入る12歳。

 

こんな感じ。

つまり、桜が咲くまでは小学生の延長で小学生でなくなったという実感が少ないが、桜が咲く頃からは、新しい学ランを着たり、部活のことを考えたり、新しい友達のことを想像したり、中学生になるのがどこか楽しみになってくる。(嫌で嫌で仕方ない人もいるかもしれないが。。)

 

そう、ある意味では、桜によってまさに「生まれ変わる」という感覚なのだ。

 

誰が決めたかは知らないが、学校は4月に始まり、3月に終わる。桜と入学入社、出会いと別れはセットなのだ。そして会計も同じく3月に閉まる。

 

だから日本で単に年度といえば一般に4月から3月のことを指す。

 

だが、海外は違うところも多い。例えば中国では、会計は1月に始まり12月に閉じる。他方で、学校は9月に始まるらしい。

 

会計と学校がリンクしていない事がどんな感覚なのか、そこはよくわからないが、日本では、卒業、入学、入社、人事異動など、とにかく前年度と新年度では人間関係も仕事の内容も、お金の出所も、何もかもがあまりにも違う。生まれ変わるから。

 

余談だが、中国企業と仕事をしていると、こういう事情を理解しているのかしていないのかは知らないが、年度始めからガンガン連絡してきてゴールデンウィークに予定を入れようとするから恐ろしい。しかもこの令和の夜明けとなるゴールデンウィークに、日本側に対して失礼ですらある気がする。旧正月は何も動かないくせに、こちらの事情を汲もうとしない。

 

もしかしたら、ただ窓口となって対話している人がそういう人なだけかもしれないが、矢面に立つ人がこういう人だと、中国人はこういう人、というなんとなくのイメージができてしまっても仕方ない。相手に国際理解がないのと同様、こちらも一括りに中国人は、というレッテル貼りをしてしまい、国際理解というコンセプトとは程遠い感情が沸き起こる。

 

話が逸れた。

 

年度の区切りから逆算すると、大学の入試はだいたい冬になる。そして、雪で公共交通機関が止まったりして受験に影響が出る事もある。そして毎年ニュースになる。

 

ならばいっそ、学校を9月始まりに変えてしまうというのはどうだろう?

 

そしたら受験の季節が梅雨とか真夏の盛りになるのかな?でも雪で止まるよりはマシかも。だが、入学の時の、あの桜に包まれた暖かな季節感とめでたさは半減か。総じて、メリットよりデメリットが大きいのかな。

 

 

まあいい。

 

いずれにしても、別に変えるべきとまで思っているわけでもない。加えて、もしそんなことを主張したとしても、桜の時期に重なった既存のいろいろなサイクルを変えることに大きな抵抗があるだろうことが予想できる。

 

日本では、何を変えるにしても必ず大きな批判が巻き起こり、そして変化のスピードがめちゃくちゃ遅いのだ。

 

変わらない美しい伝統や文化と、変わるべき日本のマインドセット、この、一体化したようでチグハグ、かつ相反しているような自己矛盾を克服し、課題先進国として世界の変化と国家レベルの課題に立ち向かっていかなければならない。

 

もちろん、このことと、会計、学校の年度云々との関連は全くないし、変えるべきという主張でもない。

 

桜は花に顕われる

 

生まれ変わったタイミングで、新たな自分の得意分野を開拓したり、環境が分かることで見えてくる自分らしさに気づけるのも、この季節なのかもしれない。

 

 

By Goro