風鈴は風流か?
ものの感じ方は人それぞれ、またそのタイミングや場所によっても左右される。
好き嫌いは相対的なものだ。
物事は多面的なので、見方によって感じ方、見え方が異なる。
では、風鈴は風流か。
時と場合による、となりそう。
マンションなどの集合住宅での風鈴を想像しよう。
1時間に一発、「チン」となるだけなら風流かもしれない。
適量なら良い、と言うことだろうか。
でも人によったら、その一発に無性に怒りがこみ上げて我慢ならん、という人がいないとも限らない。
いや、この集合住宅に風鈴を付けようという行為そのものに憤りを感じる人もいるかもしれない。いずれ必ずうるさい風が吹く、分かっていて何故に風鈴を付けるのか、と。
東京北区のアパートに住んでいた時のこと。
どこからともなく風鈴の音色が聞こえて来た。それはそれは唐突に。
チン
最初の5分間は気にとめない。風のいたずらか、これで本当に涼しくなるのかな、はて、とか思っていた。だが、気づけばその日は風があり、1分に5回くらいは鳴っていた。
最初は、気にしなければ気にならないか、とか思って耳を澄ませていたら、「チリンチリン!」ときたもんだ。
音量自体はまだ我慢できる、と言い聞かせつつ、耳を澄ませば、「チリンチリン!」。
風がやめばおさまるから、それまで待てばいいか。
チリンチリン!
なかなか止まない。しかし風鈴というのはこの音が良くて鳴らすのだから、これはいい音に違いない。
チリンチリン!!
これ聞いて涼しくなる人っているのかな?さあ風鈴を聞こう、と言ってお茶とスイーツと、浴衣とうちわ、全てを準備してから聞くのが風鈴ではないのか?
チリンチリン!!!
ということは、風鈴の音色だけがあっても、「さあ聞くぞ」という準備が整っていなければ、それは必ずしも涼しくはならないのではないか?
聞こえてくるのが涼しいのではなく、聞きに行くから涼しい。
チリンチリン!!!!
そもそも、科学的に考えるとおかしいよね、音で涼しくなるってありえない。
チリンチリン!!!!!
でも音楽が気持ちを沈めたり、ニオイが記憶を蘇らせたり、五感と感情はリンクしているから、科学的に涼しくなる、という結論もあながち間違いではなさそう。
チリンチリンチリンチリン!!!
ハッ!
気にしないという理由を考えていることが、そもそも気になっているということではないか!
完全に風鈴に思考を乗っ取られてしまっていたのである。
ベランダに出てしばらく耳を傾けて音源を探しつつ外を眺める。
すると、一人の女性が一階の部屋の外に出ていた。
この人も風鈴が気になって音源を捜しに来たのかな?
「風鈴、うるさいっすよね~。」
「あ、うるさいですか?!」
ん?この反応は?
「う、うるさいですか?」
「あ、お宅のでした?」
「は、はい、気になります?」
「そうですね、少し気になります。」
「すいましぇ~ん!」
その女の人はそそくさと部屋に戻り、直後に風鈴の音は聞こえなくなった。
と同時に、持ち主の顔が見えた瞬間、もう少し風鈴の音が聞きたくなった。
人間の感情というのが、いかにあてにならないか、ということをまざまざと感じた日であった。