Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

マレーシア帰りに日本を思う

マレーシアという国

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かつて2年ほど住んでいたので、自分の第2の故郷的な思い入れがある。帰国して、2年ぶりに訪問して改めて好きになった。

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飯うまいし。ココナッツミルクをカレーに入れたら絶品!

 

この愛着とか郷土愛みたいなものってどこから来るのだろう。一度住んだことがある街のことは好きになる。それが自分の生まれ育った地元なら?もっと好き?無条件に好き?

 

うーん。正直言って、必ずしもそうなるとは限らないのではないか、という気がする。もしかしたら、みんな生まれ育った街は好きなのかもしれないけど、そうでない人もいるのではないか、という気がしてならない。

 

そして、そう思っている人がいたとして「あたし、地元嫌いだから」って積極的に発信する必要はない。それをやることによってあいつは東京かぶれ、とか都会かぶれ、とか、地元を捨てたやつ、とか、いろんな意味で批判にさらされる危険を冒してまでやる必要性がない。

 

だけどそもそも、地元(田舎)では、こんな美味しいものや、こんな魅力的な観光地、物産などがあると必死にPRしているが、そんなに心の奥底からそこが一番とは思ってますの?仕事やからいうてるだけちゃいますの?

 

逆にいうと、地元に10万人のコミュニティか何ががあったとして、全員が地元最高!って思っている状況って怖すぎるだろ?という話なんです。洗脳という言葉が最もしっくり来る。

 

もっと自由に意見していいし、地元最高という奴もいればそうでない奴もいていいやないかと。

 

自治体職員って、その地域にコミットして税金から給料をもらっているのであれば、その街が最高最高というのが住民に対する義務であるかのように思っている人も多いかもしれないけど、多様性の世の中、とか、寛容な社会、とか、そういうことを目指す世の中で、なぜ特定の分野では不寛容、同一性を重視するような圧力が働くのか。

 

例えば、人口減社会が問題だとして、少子化も社会減もトレンドとしては変わらない。これを変えようと必死に囲い込みの発想で、高校生に県内就職を勧める。そして県内就職率とか数であたかも自治体が人口減少を食い止めたかのような実績として説明する。しかし、社会減のトレンドは一向に収まる気配を見せない。

 

もう、これ、田舎から東京や世界に一度出てみたいという好奇心や向上心を伸ばす方向に変えたほうがいいのではないか?「県内で就職しましょう」という代わりに、「県外で広い世界を見てきて、その知見や能力をいずれ地元に還元してください!」と言ったほうが地元を好きになるやつが増えるのではないかな?逆転。

 

かたや、グローバル教育、多様性、多文化共生、世界の基準でー、といかにも世界を見てます風なビジョンを掲げつつ

 

かたや、地元就職率を上げろー、地元の歴史に誇りを持て、海外研修メニューを減らして人材を囲い込み、ネクタイをはめろ、ルールだなんだと型にはまった経営を敷く。

 

これ、どうなのよってお話なんです。これが嫌なら会社を去るべし、と言われたらそれまでなんだけど。

 

もう少し、本当の多様性とか、本当のグローバル基準とか、いろんなものを知った上で述べてほしいな、と思うわけであります。

 

その点、マレーシアの仕事の仕方、これがいいのか悪いのかは別問題として、イライラするところと、これくらいでいいんやなー、と感心するところとが複雑に絡み合ういい具合のカオスな国やなー、と思います。

 

民族も別だし言語も多様。人の見た目から違う社会で、これが当たり前という価値観ができにくいのだろうと思う。だからみんなすごくオープンだし、適当だし、人間らしい。

 

バーでビール頼んでお釣りが10分くらい返ってこなくて、お釣りを返してくれ、とお願いしても「あと3分で来る」と、謎の返答があって3分たっても返ってこないから、もう一度「お釣りを返して」と言ったら、今度は「あと1分だ」と謎の回答。そして5分くらいしたら、誰かがレジにキャッシュを補充してからお釣りを持って現れる。そうして無事にお釣りが返ってくる、というような感じだ。なんだかみんな適当だけど、それでも世の中なんとなく回っている、という雰囲気。

 

要するに寛容なのだ。

 

ルールに厳しく、時間厳守、精密で気の利くおもてなし、というような点が日本の優れたところかのように言われることがあると思うが、そうであることを否定まではしないが、そうであるからこそ、日本の社会は不寛容になっているという点を指摘したい。

 

時間に正確ということは、時間を守らないことに対して不寛容であるということ。電車が遅れてクレームしているじーさんを想像すればいいだろう。

 

過剰サービスがあたりまえ、という風になれば、適当な接客に対して切れる、という客も多かなるだろう。

 

日本のそういうところがギスギスして気持ち悪いと思っている人は結構多いのだと思う。

 

そして、そういう問題点を認識しながらも変わらない会社や世の中に諦めかけている人も多いのではないかと思う。

 

地元の愛国心を煽る踏み絵的な教育や行政の取組なんかも、この観点から見ると、すごく同調圧力の強いリーダーが発案しているんだろうな、と思ってしまう。

 

私は多分、ひねくれもんなんです。

 

By Goro