Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

自分の意識で世界が変わる

自分が変われば周囲が変わる

 

かつて、自分の世代よりちょっと早く始めたからというだけで、ダンスがめちゃくちゃうまい先輩に言われた言葉。

 

その時は妙に納得したもんだ。

 

自分のダンスが評価されないのはなぜだ

(本当は上手いのに)

 

ダンスコンテストで勝てないのはなぜだ。

(本当は上手いのに)

 

ソロバトルで勝ち上がらないのはなぜだ。

(本当は上手いのに)

 

そんなネガティブなことばかり考えていたような気がする。

 

今はコンテストで勝ちたいとか、バトルに出たいとか、毎日練習しようとすら、そもそも自分がまだダンサーであるとすらもはや思わないけれど、そういう気持ちになると楽で、ダンスを踊る機会があると逆に楽しめる。無論、日常的に踊っているわけではない。

 

昔は、上手くなって注目されることが目的だった。そして目的に到達するための手段を間違っていたのか、結果は伴ってこなかった。

 

思えば、単に中途半端にやらねばならぬことから逃げていたのかもしれない。そうして立派な目標に到達できない自分への言い訳の余地を残していたのかもしれない。

 

だが今は、(やるとすれば)楽しむことが目的に変わった。

 

もう結婚式の余興くらいでしか披露することはないけれども。いや、結婚式すら、もうだいぶ落ち着いて、呼ばれることは非常に稀なんだけれども。

 

とにかく、やるのであれば、楽しければいいやという気持ち。

 

これは、自分の気持ちが変化したことにより、自分が楽しめるようになって、そのことで周囲を巻き込んで余興プロジェクトを成功させることに繋がっている、という流れの一例だ。

 

もし昔のマインドで、上手く踊れやら、練習に来いやら、振り付けはこうでなければならない、とかなんとか言い出したら、素人の余興メンバーは白けてついてこないに決まっている。

 

そこで、なぜ俺の言っていることがわからないのか?という疑問を持ったところで何も解決しないし、誰も味方にはなってくれない。

 

つまりは、自分次第で世の中が変わっていくということだ。

 

世の中の面白くないことの正体は、多かれ少なかれ、だいたいこういうことかな、と思うことも必要かな、と感じるようになったような気がしないでもない、という感じ(回りくどい。。)。

 

譲れないものはもちろんあるし、気に入らないと怒ることももちろんある。

 

しかし、相手が何を求めているのか、自分の態度が適切か、という点などは一度自分の中で冷静かつ客観的に検証することが可能かもしれない。

 

それでも感情が邪魔をするのはよくわかる。

 

頭でわかっても許せないものは許せないし、損することがわかっていても貫きたいと思う時がどうしてもある。

 

むしろ、こういう気持ちを持たずに、長いものに巻かれてへこへこごますり人間が何を考えているのかさっぱりわからない。

 

しかし、それでも、やっぱりその場で自分を貫くことが後々しんどい思いをすることにつながることがあるのだ。

 

そこで意地はる必要があるのか、どうでもいいことなら譲ってはどうか、など、少し時間と距離を保って自分の意識と行動を観察してみよう。

 

もしかしたら、その瞬間的こだわりにそれほどの価値がなかったということに気づくことがあるかもしれない。

 

By Goro