Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

丸裸になれ

人前でいかに自分を全てさらけ出すことができるか。

 

その上で、相手の警戒心を解きほぐし、本音を引き出すか。

 

もっと言えば、「お前となら仕事してもいい」と言ってもらえるか。

 

それができれば、人間関係において最強だし、仕事人として圧倒的な強みになるはずだ。

 

今、箕輪厚介さんの本「死ぬこと以外かすり傷」を読んでいる。

 

彼は、決して周りに同調しないし、常に自然体でぶつかる。

 

そして人の懐に飛び込んで仲間を増やす。いや、勝手に増えていく、のかもしれない。

 

もしかしたらその過程で嫌われてしまうことがあるかもしれないが、そんなことは気にしない。

 

仮面をかぶって好かれるよりも、自然体で嫌われた方がいい。

 

結果的に、その方が人からよっぽど好かれるし、実現できる仕事の幅もでっかくなる。

 

一方、一般の会社では、必ず上司の決裁が必要になることから、単独で外出先で勝手にコミットしてきたら、「独善的な仕事の仕方はやめましょう」とか、「組織で仕事しているんだから個人プレーは良くない」とか、「協調性がなく、チームの和を乱す奴」といった評価に繋がる。

 

つまり、組織においては、自分をさらけ出すことは悪いこと、と、評価される可能性が極めて高い。

 

小学生の時からそのような同調することが良いこと、という教育を受けてきたから無理もない。

 

だが、一度冷静になると、私生活の中で、そう思われたからと言って何の支障もないし、どうでもいい。心の底からそう思える。

 

特に仲良くもない知り合いの集団の中で、そう思われることにより失うものなど1つもない。全くない。本当にない。

 

では、なぜ仕事になると、こうした評価を恐れてしまうのか。

 

実際、このような評価を受けると、仕事が振られなくなり、できる裁量が減るからだろうか。

 

そしたら職場に居づらくなるからか?

 

給料が減るからか?

 

やりたいことがますますできなくなるからか?

 

このような発想をしている時点で、組織にしがみついているということであり、この考えは変えなければならない。

 

ちなみに、孔子の言葉に、和して同ぜず、というものがあるが、決して周囲に合わせることが良いこととされているわけではない。

 

正しいことをしたければ偉くなれ

 

これは正しいか?

 

 

たしかに大組織の中で常に反発して戦っていても、独りよがりで勝てるわけはない。潰されて終わる。

 

だったら嫌なことを飲み込んで、我慢して我慢して上司の機嫌をとって偉くなるというのも1つの考え方である。

 

でもなんだか、これもひと昔前の考え方で、少し古い感じがする。終身雇用が前提の哲学かな、という気すらする。

 

踊る大捜査線だし。

 

とはいえやっぱり組織の中で一人で戦うのって、ものすごいエネルギーが必要で、そのこと自体が何も生み出さないとすれば、戦う意味があまりない。

 

ならば戦わなくていいように辞めるか?

 

正直、答えはわからない。

 

しかし、箕輪さんの行動原理から言わせれば、おそらく、結果で示せ、ということだろう。

 

あーだこーだとウダウダ言ってないで、さっさと動いて数字で結果を出して、オンリーワンになってしまえ、そしたら、あなたに反対する人間はだんだん減ってくるし、お前がいうならしょうがない、と言って動いてくれる味方が増えてくる。

 

そのためにやるべきこと、そこを考えるのだ。組織のダメなところ、上司のダメなところを指摘するだけの評論家になってはいけない。

 

行動と結果で示し、あなたの発言が正しいと思われるようになるまで、とにかくやれ!

 

今いるところで頭角を現せない者が、環境を変えたからといって何者にもなれない、その可能性が高いということだろう。

 

By Goro