Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

飲みニケーションの功罪

飲みニケーションって何?

 

いわゆる飲みニケーションには、酒を飲んでいい気分になって、上司や同僚の間で、本音を言えたり心理的距離が縮まったり、あるいは、時には仕事の話が解決したり、そのようなプラスの側面があるのは事実だろう。

 

 

だが、会社の中ではどうか?昨日飲み会でワイワイ騒いで、心理的距離が縮まったからといって、今日の仕事で何か影響があるのか?

 

まさか、昨日は楽しかったからこの案件を進めることにしよう、などという管理職はいないだろう。 また、案件を進めるのに、飲みの場でなければ言い出せないということもないだろう。

 

 

もし、そういう切り出し方をしていたら、「なんでお前はこんな時にそれを言うんだ」「ドサクサ紛れの相談は戦略的な手続きとは言えないし、酒に任せて相談するなんざ姑息だ」と、余計に心象を悪くすることすらある。

 

 

これは、本当にある。 そうなると、進むものも進まない。

 

 

また、いつまでもだらだらと遅くまで飲み続ける日本人は、単純に体に悪い。 眠いし、二日酔いになる。それで会社休んだりしていては、もうビジネスパーソンとして、恥ずかしい。さらには、家族との関係がうまくいくのか、という視点も必要だ。遅くなって家事ができないと、妻の不満が溜まる。

 

 

このように、飲みニケーションと言われるものに、どれほどのメリットがあるのか、何でもかんでも参加している人は問い直してみるのもいいかもしれない。

 

 

要するに

  • その時に楽しい思いができる
  • 酔って気持ちいい
  • ストレス発散になる
  • 知らない人と話ができた
  • 秘密情報が入手できた

といったメリットがあるとすれば、逆に

  • 二日酔いでしんどい
  • 遅くなって妻との関係を損ねた
  • 付き合いとはいえ、時間の無駄だった
  • 気が大きくなって言わなくていいことまで言ってしまった
  • てか、行きたくねーし

などなど、ちょっとしたリスクが潜んでいるということも忘れない方がいい。

 

ちなみにウィキペディアによると飲みニケーションは次のように説明されている。

 

 

酔った勢いで互いが馴れ合ったり親密な会話ができるようになるということを目的として行われている。企業の中には飲みニケーションを行うということを奨励している所も存在しており、これを行うための手当を支給しているというところも存在する。だが一方で、飲みニケーションの場で部下に説教をしたり、行きたくないと思う者を強制的に参加させるということがパワーハラスメントであるなどと否定的な見方も存在する。

 

 

日本の会社では会議だミーティングだ、決められない人が集まってあーだこーだとやっている間、オランダでは、フューチャーセンターと言われる脳の働きに基づく場づくりに取り組んでいて、こうした無駄や非効率を根本的なところから見直していこうという取り組みが盛んだ。

 

 

(こちら、参考記事)

 

 

こういうことをやった上での飲みニケーションであれば、実にいい。

 

 

会社でギクシャクとストレス溜めておいて、飲み会では無礼講といってその場限りの宴を楽しむ。これって、叩いてさすったら元どおり、とか、病気になったら薬飲めばいい、とか、太ったら食事制限、とかそんな発想に近い気がするのだ。そうではなくて、叩かないでいい良好な関係が望ましいし、病気にならない生活習慣と、太らない適度な運動、こういうものを最初から予防的にやっていく方が絶対的に健全なわけだ。

 

 

飲みニケーションから、終身雇用型、年功序列型の日本組織はいつまでたっても変われない理由の一端が垣間見えた気がした。

 

 

個人の尊重、自由な生き方、好きなように生きる、働き方改革といった価値が叫ばれて久しいが、組織に入れば、そのようなものは単なる美辞麗句であって、個人を本当に大切にしている会社というのは、もしかしたらまだ少ないのかもしれない。

 

 

By Goro