隙間時間の活用
今朝
確定申告で税務署に行くということで、1時間の有給休暇を取った。
申告書類はすでに提出していたので、納付手続きのみ、10分もかからず終了した。
さて、その後すぐさま出勤すると、1時間どころか15分の遅刻で済むことになる。
それで仕事をさっさと済ませても良いけども。
しかし私はあえてそうせず、カフェで過ごすことにした。
そしてこの記事を書いている。
この予期せずしてできた30分と、いつも通り出勤して残業したりした時の30分では、何かが違う気がした。
つまり、誰もが仕事している間の時間って、ある意味、かなり希少価値が高いと思ったのだ。
もちろん効率よく仕事を済ませて時間を作ることも必要だし良い心構えだ。そして家族と過ごす時間はプライスレスに違いない。
しかし、それと同じかそれ以上に、あえて人と違う行動をとることによって感じることのできる価値、そして、その時間に何かを生み出そうとする思考って、めちゃくちゃ大事なひと時だと思うんだ。
そこで何かをアウトプットしてみることはそれ自体が(自分の中で)何らかの価値を生むし、逆に何かをインプットする時間にもなり得る。
もちろん、ただの時間の無駄遣いと見ることもできなくはない。実際、本業はその分遅れることになるかもしれないからだ。
それも1つの真実ではある。
しかし現実世界は多面的なものだ。あなたにとっての真実は私にとっては不確かなものだし、そもそも何の関係もない。
会社のムダ会議、単に同席を求められたムダに長い打合せ、決める事のできない上司との相談時間、そのようなことを回避して作り上げた隙間時間の30分は、やはり、2倍も3倍も貴重だ。そこに疑いの余地はない。少なくとも私にとっては真実だ。
日常の中でも、たまにはあえて休んでみて、普段と違う行動を取ることから気づくものが必ずある。
その時間に何かを考えてみることから生まれるものも必ずある。
それが大きなものか小さなものか、あるいは優れたものかそうでないかなどは関係ない。
ただ、人生という大きな長い川の流れにおいて
潜ってみたらこんな魚がいた、
とか、
こんな小石が踏ん張っていたのが今まさに水量に抗えずに流された、
とか、
葉っぱが流れてきたけど周りに木がない、どこから来たのだろうと山頂を仰ぐ、
とか、
人生(川)で起きていることのほんの小さなことに気づくきっかけになるかもしれない。
それが何を意味するか、その時点で知ることができなくでも、記憶のどこかに残り、後になって思い出すこともできる。
日常は平坦で日々の出来事など忘れがち。
そのように考えることで、毎日を精一杯生きるということの1つの答え、というと大げさだが、1つのヒントになるのではないだろうか。
そういう思いで、この記事を書いた。
所要時間は15分。
書き始めた時の思考では、記事全体の内容を想像もできなかったが、こういう思考が自分の中にあったのか、と気づくことができた。
さ、今日も一日精一杯生きることにしよう。
By Goro