メロス島の対話
トゥキュディデスの「戦史」という本は、教科書にも出てくるあまりにも有名な歴史書。
当然、戦争や歴史、国際政治・安全保障の世界は、地方の一般ピープルにとってはあまりリアリズムが感じられない世界だったりもする。
だが、この戦史に描かれた「メロス島の対話」というくだりは、まさにパワー関係のリアリズムを描いたものだった。
メロス島とアテナイの関係を、今で言う中国とアジア周辺の小国として捉えたりしてみると、その関係性はぐっとイメージしやすくなるかもしれない。また、この場合はラケダイモン(スパルタ)は米国だったりする。
読者を引き込むような迫真のやりとりの一部を抜粋する。
———————————
背景
メロス島に、アテナイの軍勢が押し寄せ、降伏のための交渉にアテナイから使節を送った。メロス側は、政府高官を交えて少数でこの交渉にあたった。
(以下、要旨抜粋、一部勝手に編集)
アテナイ側
正義か否かは勢力が均衡するときに決められる。強者と弱者の間では、強きがいかに大をなしえ、 弱きがいかに小なる譲歩を持って脱しうるか、その可能性しか問題とならない。
メロス
人が苦しい時は情けと正義に訴えることを許し、一分の理をみとめ見逃してやるべきだ。
われらの望みは苦労せずに諸君を支配し、 双方が利益をわかちあう形で、 諸君を救うことだ。
メロス
諸君がわれらの支配者となる事の利益は理解する。しかし諸君の奴隷となれば、 われらもそれに値する利益が得られるとでも言うのか。
しかり。その理由は、 諸君は最悪の事態に陥ることなく従属の地位を得られるし、 われらは諸君を殺戮から救えば、搾取できるからだ。
その2に続く
強者の前で、正義や意地、あるいはプライドを貫いて蹂躙されるのか、それとも命を守るために奴隷の地位に甘んじるのか、究極の選択とも言える白熱の場面だ。
ワンピースで言うところの、アーロンパーク編におけるナミが育った村とアーロン一味の立場にも重なって見える。
当然、漫画であれば最後に正義が勝つ。痛快だ。しかし、その結果を得る前に、相当の犠牲を伴うことは避けられない。
例えば50年後に小国の正義が証明されたとしても、家族が死んでしまっては一体何になると言うのか。
武士のように義を貫いて潔く死ぬか、生きて巻き返しを図るか、どちらが正しいかはわからないが、現代にも通じ、まさに今起こっている、地域安全保障環境の地殻変動に重なって見える。
By Goro