Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

平成から令和へ

時代が変わった。

 

ただし、形式的な意味での時代が変わっただけで、時間は引き続き連続的であるし、何かが外的な環境が劇的に変わったというものではない。

 

あくまで、天皇が退位されて上皇となり、皇太子が即位して新天皇となられた。

 

それに伴い、日本の元号が平成から令和に変わった。

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客観的にはこれだけの変化に過ぎない。

 

だが、人々への心理的な影響は大きい。

 

平成の時代には良い未来が描きにくかったからなのだろうか、これを機に新しく明るい時代を期待し、人々はどこか希望を持って未来を見ているように見える。

 

もちろん明るいのはいいことだ。

 

平成は、経済的にも低迷し、高齢社会は進行し、少子化は進む。給料は上がらないし会社にいても明るい老後は見えてこなかった。

 

一方、世界を見ると、新しい技術がどんどん出てきて立ち止まればすぐに置いてけぼりを食らうスピードで変化している。

 

中国は台頭し、アメリ自国第一主義に走り、英国はEU離脱朝鮮半島情勢もめまぐるしい。

 

つまり、これまでの常態が常態ではなくなりつつあり、そのような世界の潮流が、1人1人の人間に対して、何らかの変化を求めているような気がするけども、自分自身や勤めている会社、家庭環境などのしがらみも含めて、すぐには変わることのできない身の回りのものと世界のギャップを目の当たりにすることによって、無意識に焦燥感を募らせてきたかのようでもある。

 

そんなムードが大部分を占める(かもしれない)島国ジャパン。ほぼ単一民族国家、お上文化、村八分とか五人組に代表されるような、ハイコンテクストな言語を持ち、激しく空気を読む文化。

 

すなわち、歴史的に周りに合わせることが美徳とされ続けてきた民に浸透しきった習慣や考え方を踏まえると、この度の改元に伴う祝賀ムードは、平成の閉塞感を吹き飛ばし、まさに一斉に同じ方向を向いて行こうという態度の表れであり、実に日本人らしい反応というべきなのかもしれない。

 

もちろん、明るいのはいいことだ。

だが人と同じこと、集団行動が嫌いな空気の読めない私には、気がかりな点がなくはない。

 

渋谷で騒ごうとす集まる若者、至る所で行われるカウントダウンイベントなど、まるでワールドカップかハロウィンか年越しのそれと全く同じだ。

 

何度も言うが、今回のそれは、明るい未来に向かった希望であるので、良い。

 

だがこれが別のベクトルや要素を持っていた場合には、必ずしも良い方向に働くとは限らない。そしてそのようなことがこの、日本ではいつでも起こりうると言うことも否定されない。

 

それは先の大戦を例に出すまでもない。

 

日本人とは、良くも悪くも、周りは全て日本人で全員が日本語しか話さない環境で育ってきた人が多い(そうでない人もいると思うが、圧倒的多数にとっては、周りが日本人と日本語ばかりであったという事実は否定できないだろう)。

 

そんな日本にも、平成が終わり、令和の時代が幕を開けた。

 

インバウンド観光客に沸き、外国人労働者を取り巻く制度も大きく変わってきた。

 

これまでもそうだったとは思うが、令和の時代は、それにも増して、地域レベルでも国際化の視点を積極的に取り入れ、国民そのものがオープンになっていかなければならない時代だと思う。

 

さ、英語やっとくかー!

 

By Goro