Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

ストリートダンスやるならスポーツ的にやれ

大学生時代ハマりにハマったストリートダンス。今ではめっきりやらなくなった。

 

 

てか、やる暇はないし、やってて発展性がない。それをやっててじゃあどうなるの?って聞かれたら、楽しいから、という以上の答えはない。

 

 

金が儲かるわけでもなければ、ダンスを人に教えたいわけでもない。楽しければいい、それだけ。

 

 

だが、昔は違った。

 

人よりも上手く踊ること、有名になること、後輩に教えて敬われること、生徒をたくさん集めること、これらが価値だった。

 

 

しかしそのゴールにはたどり着けなかった。

 

 

当時は戦略性も何もなくて、ただひたすらに練習に打ち込んでいただけ。

 

それもアスリートみたいにストイックではない。

 

なんなら、タバコを片手に鏡(とかドアの映るところとか)の前でひたすら、音楽をかけて体を揺らしてイケてる振り付けを思いついたら音にはめていって、作品ができれば友達とグダグダしながら振り付けを覚えて、なんとなくショーに出る。

 

この繰り返し。

全てが中途半端だったのだ。

 

もちろん、一時期は本当にストイックに練習にした日々もあった。タバコもやめて筋トレもして、汗だくになるまで息切れしても踊り続ける、そんな時期もあった。

 

 

だが戦略性はなかった。

 

 

だから何者にもなれず、社会人になって自然とダンスから離れていった。そんなダンサー友達はめちゃくちゃ多い。

 

なんなら一線で活躍しているストリートダンサーですら、当時はその程度だった。

 

 

シーンとして社会全体で突き抜けて行かなかった1つの理由がここにあると思う。

 

 

プライドだけが高くて、本気で這いつくばって練習するということはなかったし、どういうダンサーになって、どうやってお金を稼ぐのかという考えはなかった。

 

 

やっていればそのうち認められ、そしてどうにかなる、くらいの甘い考えだった。

 

そしてそんな日々に嫌気がさして辞める日が来た。

 

ダンスはスポーツでいい

 

1つ立ち止まって考えて欲しい。

 

高校時代の部活、そんなに甘っちょろかっだろうか?毎日足がつるまで走り、先生に怒鳴られ、試合に負けては泣き、合宿で馬鹿騒ぎし、好きな子にいいところを見せ、何もかもが本気だったよな?

 

これがアングラ生まれのストリートダンスには足らなかったのだと思う。

 

 

勘違いしないで欲しいのは、アスリートとして頑張っていた人たちもいた、そこは事実としてある。が少数だった。シーン全体として、チャラチャラとして、いきがって、社会に認められるような行動を取ってこなかった、ということもまた事実だろう。

 

 

ダンスがヒップホップカルチャーから生まれたからと、アングラにこだわることに意味はない。もちろんわかるんだけどね、Lifestyle Hiphop ヒップホップを貫く人のこだわりやかっこよさは。

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でも、この時代、もはや、もっとスポーツや教育としての側面で捉えて良いと思う。事実、教育には取り入れられている。

 

 

ストリートカルチャーもオリンピック競技になったり、いろんな場面で目にする機会は増えた。

 

つまりダンスを続ける中で目指すところの選択肢が増えているということだ。

 

筆者はただ楽しければそれでいいのだが、こういうことはやっている当時に存分に考えて議論して、方向性を明確にしておかなければならなかった、と、ふと振り返ることがある。

 

 

自分の過去との分断

 

こうしたギャップを解消しないままにしていたことが要因で、「ダンスをやめた自分」と「ダンサー時代の自分」の分断があった。

 

社会人になってから、ダンスを頑張って上手くなった自分を誇りに思うと同時に、何も達成しないことに明け暮れた時間の浪費に対する後悔の念とが混在したまま時が過ぎていくことになった。

 

結局、人の目や評価ばかりを気にしていた、ということだろう。

 

人に認められないから辞める、認められるならば続ける、という具合に。

 

これだと全てが他人次第ということになってしまう。

 

 

もちろん、他人を変えるために自分が変わり、その影響で評価が変わるという循環はあるだろう。

 

 

しかし、その前のマインドセットとして評価を前提としていたこと、そのことに気づかなかった若かれし頃の自分に対して、言いたいことがある。

 

 

自分の良心にだけ従え

 

これはもうスティーブ・ジョブズのスピーチの通りだ。

 

やりたければやれ、ただ、中途半端にはやらな。そしたら振り返った時にドットは繋がるぞ。

 

今の僕は、楽しければやるしそうでなければやらない、だから上手く踊る必要もないし、毎日やる必要もない。クラブに行って音に乗り、酔っ払って少し激しいステップを踏む、こんなことができれば最高の夜を楽しめる。

 

 

それでいい、最高だ。

ダンサーとして失うものがなくなった時、ダンスが最高に楽しいものに変わる。

 

 

これって、気の持ち方として仕事にも当てはまる部分があるのかも。

 

 

いつでもやめていいという気持ちであれば上司の小言や面倒くさい社内政治、その他のことから解放されて好きなように振る舞える。

 

 

ただ、そこに到達するには、会社を辞めても生きていける、辞められたら困る存在という裏付けがなければ空回りするだけだろう。

 

もしそのような存在になれているのであれば、あなたの発言力は高まり、好きなことができる領域はぐんと広がる。

 

はあはあ、長い。疲れた。

めちゃくちゃだけど、おやすみなさい。

 

 

By Goro