Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

トラブルのない旅は、山頂まで車で行く登山のようなものなのか

数年の海外駐在中、用務で帰国した。

 

すぐに慣れることではあるが、周りがすべて日本語なのが新鮮で、レストラ ンでは隣の人の話が筒抜けに耳に入ってくるという感覚に、 最初違和感があった。

 

 

「その話、聞こえているよ」という感じ。

 


ところで、当時(2016年)築地市場を訪れた際に、飲食店のオジ様オバ様たちが、3か国語(もしくはそれ以上)を駆使して客を呼び込み、接客をする光景を目の当たりにした。

 

 

当然、中国語、英語、韓国語、日本語、のあたりが多い。どれくらいのレベルでできているのかはわからないが、一見、客とのやりとり程度ならば問題なさそう。

 

 

日本語が通じなければ英語に切り替え、顔が中国人ポイ時は中国語、韓国人ぽければ韓国語という具合で、少なくとも、「えーっと・ ・・」と頭の中で考えて翻訳する日本人独特の間はなく、テンポよ くコミュニケーションが取れていた。ように見えた(不思議なもので、顔だけで東アジアの三カ国はだいたいわかるんだよなー。)。

 

 

これには横から見ていて正直に驚いたとともに、商人魂を感じずにはいられなかったし、日本のインバウンドが盛り上がってきていることを現場感として目の当たりにした瞬間だった。

 


築地も浅草も二条城も外国人だらけ。

 

 

さて、仕事上付き合いのあった日本在住のマレーシア人と話した時、「日本語が話せない」と言うので、「日本にいて日本語ができないと困難な場面があるのではないか」と質問した。

 

彼はこう答えた。

「全くそのように思わない。なぜなら、標識はほぼ英語が併記してあるため迷うことはない。もちろん10年前なら違っていただろうが 。また、多くの日本人は英語が理解できる。」

 

 

私は「つまり多言語対応は、訪日者を怠惰( lazy)にしてしまう側面があるということですね」 と言ったら、「まさに言うとおりだね」 と笑って答えてくれた。

 

 

その前に、日本人が英語ができるという件、正直違和感があった。本当か?

 

 

九州の地方出身の自分としては、ほとんどの日本人は英語を話せないと思っていた。実際、周囲に英語ができる人は知り合いとか同僚とか見回すと、感覚としては10人に1人もいないくらい。

 

 

ここで問題になるのは、何をもってできると定義するかということであるが、私の理解では「英語ができない人」は、学校で習っていて知識はあるが、日常的に使ったことがほぼ100パーセントないので、「使えないと思い込んでいる人たち」のこと、だからいざという時は本当に使えない。これが私の周りには90%を超えるくらいという感覚。

 

 

話を戻すと、マレーシアにおいても、ほとんどの市民に英語が通じるため、マレーシアで生活する限り、マレー語や中国語を学ぶ必要性はそれほど感じられなかった。

 

 

本当に相互理解を深めるには、 言葉も重要な要素であると思うが、だからと言って現地語の習得に拘っていては、外国に行くことさえも躊躇してしまうだろう。

 

 

逆に、コミュニケーションの取れない不自由さを楽しむことこそが旅の目的だという人もいるだろう。

 

しかし、水一つ買うのに苦労するのでは、やはり観光そのものの目的を達成するには、一般的に言ってハードルが高いと言える。その状況を楽しめる人は一握りの人たちだけ。

 

 

その土地に住んで時間をかけて当地の言語・文化について理解を深めていくことと、短期旅行でトラブルなく過ごすということとは、 やはり訪問者にとっての目的も違えば、受け入れ側のアプローチも当然異なるということであろう。

 

ちなみに、トラブルなく過ごすことが本当に良い旅なのかどうかという価値の問題は大いに議論の余地があるところだが、ここでは触れないでおこう。

 


蕎麦をすする音に対して外国人がどのように感じるかは知らないが、世界はとっ くの昔に「郷に入っては・・・」、とばかりも言ってはいられない時代になっている。

 

 

宗教に目を向ければ、排他的で厳格な線引きを する文化も依然として存在するが、文化や観光に目を向ければ、 訪れる人には「違いを受け入れる態度」が求められるとともに、 受け入れ側には「違いを認める寛容な態度」が求められている。

 

 

この「ギャップ」を小さくすれば、相互に気持ち良い交流が可能となるということであり、その方法が、多言語対応やハラル対応など、とい ったインバウンドの取組だと思われる。

 

 

マレーシアはイスラム教の国ではあるが、時と場所を選べば、豚肉やお酒も許容されている点で不自由はない。

 

 

一方で、時間にルーズ(口約束は守らない)、 公衆トイレが汚い、交通マナーが悪すぎるなど、大いに「 ギャップ」を感じる場面はまだまだ多く、これは自分の外国人としてみた際の受容力の側に問題があるということなのだろうと、この文章を書きながら自省の念に駆られた次第。

 

 

繰り返すが、「ギャップ」が大きい方が旅の思い出は色濃く残るという意味では、やはり旅の目的、何を得るか、といった価値問題については議論の余地がある。

 

By Goro