電池切れのポエム
午前中、執務室で仕事して午後から軽く隣県まで電車で出張。
今は電車の中だ。
電車では本を読むのが好きで、駅で本屋さんに行き、お供を探す。
でも時間ギリギリになり、選ぶ時間が確保できず、結局買わずに乗ってしまった。
ならばいつもカバンに忍ばせている本を読めば良い。
でも買った瞬間の、あの読みたい衝動の勢いで読破する感じが好きだったりもする。
そんなこんなで、気乗りせず携帯でニュースでも読み漁ろうかと画面を見ると、充電が30%となっている。
30%?
なぜ?
今朝は100%だったはずだよ。
iPhoneによくある、電池系のトラブルか?
まあいい。携帯はお預けだ。
カバンに忍ばせたカラマーゾフの兄弟でも読んでおこう。
と、行きはそれでよかった。
今、帰りの電車だ。
充電の残りは11%にまで減っている。
ここで携帯を使うべきではない。本を読んで過ごせ、俺。
しかし、こんな隙間時間に何か書くのも悪くない、と思ってブログを書くことを思いつく。
そんなこんなしている間に10%に減っている。
そりゃあ当然だ、触れば触るほど減る。
わかってはいる、が、そんな極限状態の中で生まれる文章があるに違いない。
根拠なくそう確信し、筆を進めている。
だが、なかなか出てこない。その極限状況にのみ発揮されるという伝説の文章が。
そもそもこのブログは一筆書きだ。何か思いついたからと計画通りに書くこともあれば、行き先がわからないまま走り出して事故ることだってあるかもしれない。
それでもやっぱり行かなければ見えない景色があるのだ。
だから行け。
充電がなくなってしまっても構わないんだ。そん時は投稿ができないだけだ。もともとなかったものができなくたって、誰にも気づかれないだけ。そもそもそんなに読まれていない。だから何の損失もない。
だがわかっている。この発想はよくない。それは痛くわかっている。
そう思うからこそあえて書くのだ。
つまり、もともと無いのだから何もしなくても変わらない、という発想ならば、誰も何もしなくていいし、人間生活もしなくていいし、社会は回らなくていいし、国の発展もしなくていいという理屈になる。そもそも存在しなくていいと。そこにあるのは虚無の世界、つまり、なにもないということ。
そうではないのだ。
何も無い時にこそ何かを生み出す発想が必要であり、今この変化の激しい時代に特に求められるマインドセットなのだ。
そんなことを、充電が7%に減る間に考えながら、電池が切れることよりも、何かしらのアウトプットになればとの思いで、ここまで来た。
この記事ですでに1000文字を超えた。
だから、あとはどこに到達しても良いという気持ちになった。ああ楽だ。
もし俺が、ここで何かを書く決心をしなければ、携帯こそ死なかったかもしれないが、そこには何もせずに居眠りした哀愁漂うおっさんの姿があったのかもしれない。
そしてブログのネタがないネタがないと嘆き、ついに書くのが億劫になる姿も思い浮かぶ。
だが、俺はそれを回避した。少なくとも今回だけは回避できた。
充電はまだ7%のままだ。
さ、これからでも遅くは無い。
本を読もう。
By Goro