Goro-Sakamoto’s world

坂本吾郎(Goro)が語る。自分の考えをストックし、アウトプットしていきたい。でも考え方は変わるものなので、その時々の思考が常に最新とは限らない。

何のために働くのか

仕事をする目的は何か?


間違いなく10代の時の悩みの種。いやむしろ、社会に出て3年以内のテーマかもしれない。 


働かずに遊んで自由に生きていきたい。だから社長になる、不労所得最高!みたいな気持ちもわかる。高校生の時はテストの点数を取る勉強しかしていない。少なくとも自分には大学に行くことが目的であって、社会に出るという意識はなかった。


さて、仕事は何のためにやるのか。

 

お金のため?
自己実現のため?
お客様のため?


お金を報酬として与えることには、ある場面では有効な動機付けになるが、ある場面では有効ではない、ということがあるらしい。


成功報酬型の動機付けが有効となる場合はルールや目的が明確な時、つまり、早く山頂に着いたら100万円!というケース。

 

そういえば、アフィリエイトはこちらだね。


でも、組織に雇われて仕事をする時、答えのないことばかり。誰がやっても同じ答えになるものは仕事じゃなく、作業だ。

 

だが、自分の考えだけでは何も実現できない。必ず上司や別の同僚が違う事を言う。


そして、答えがないことを日々こなしていく中で、我々は上の意見に縛られて牙を抜かれ、仕事が作業に成り下がっていくのを日々目の当たりにしながら、時間に拘束されて同じ基準で給料をもらっている。職種によってはほとんどアルバイトと変わらない、場合もある。


そこにやりがいがあるのか、と言う問題。
何を動機とするのか。 


貢献?

 

誰に対する?


クリエイティビティ?

 

自己満の?

 

もちろん、ここでいう貢献とは、組織をうまく回すための貢献ではない。課題を解決して、お客様からありがとうと言ってもらえるとような価値のある仕事のことだ。


全ての仕事が無条件に人の役に立っているとは、良心に照らしても、全く思えない。むしろ、無駄な会議に時間を浪費して、無駄な人件費が必要となる事で不利益を与えている部分があるのかもしれない。


ある時、職場の同僚が、退職して某有名コンサルファームに転職した。もちろん超優秀な人で尊敬に値する。 


彼は次のように言っていた。  


退職に当たって、これまでお世話になった数々の人たちと話をしてきた。その中で気付いたことは、人には3つのパターンがあるということ。  


1つ目は、コンプレイントを言って何も動かない人。 

 

評論家、もしくはただの負け犬か。


2つ目は、コンプレイントも含めて受け入れ、その中で最大限のパフォーマンスを発揮しようとする人。 

 

前向きに見えるが、心だの奥には葛藤を抱えているのではないか。そこで生きていく事を割りきり、そのために偉くなる。そして、部下である限りは、自分の良心に照らして食い違いがあっても、自分を殺して食らいつく能力に長けている。


3つ目は、コンプレイントを言うくらいなら自ら環境を変える人。 


「例えば売上を上げることができたとか、直接的に成果を感じたい、しかし今の職場ではそれができない。」 


「だから前向きに環境を自ら変えたい、オポチュニティがあるのであれば自ら挑戦し、自分の人生は自分で決めることにした。 」


言うまでもなく、彼は自らを3つ目の考え方で縛り、体現しようとしていたということだ。


そして彼は、当時の決断を決して後悔することなく、自ら決め、その先に広がる人生の選択肢を手に入れているに違いない。

 

没個性をよしとする日本の文化。少なくとも義務教育では同じ型を量産するシステム。

 

f:id:goro-sakamoto:20190223204151j:image

 

この洗脳教育から脱するには、3番目の人生を勝ち取る他に道はない。

 

By Goro